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2025.10.02

令和7年度 同窓会・プラチナパーティー乾杯

 毎年、プラチナパーティーの乾杯の音頭は、最高年齢の参加者にお願いしております。今年度は山高第4期昭和27年卒業の富田志津子さんにお願いしました。プラチナパーティーも何十年と続いてますが、女性の乾杯の音頭は今回初めてで記念すべきパーティーとなりました。乾杯の唱和の前に戦争体験などを熱く語られました。原文は以下のとおりです。

 『 戦後八十年の今年の夏は、あの戦争についてマスコミも大きくとりあげ将来に亘る平和への願いをより新たに致しました。そして今「一人でも多くの若い方に語り継いでおかなければ風化する。」との危機感を持ちました。体験者の九割はすでにこの世には無く、残っている者の使命とも受け止めましたので恐かった空襲の体験と戦後の様子を少しお話させていただきたく、どうぞよろしくお願いいたします。乾杯は少しだけお待ち下さい。さて、当時私は十二才、明倫小学校の六年生で戦争の末期、夜昼となくの敵機襲来におびえ、学校生活も勉強どころではなく、運動場もすべて芋畑になって居りました。そんな中、七月二十八日深夜B29の大爆撃があり、一万数千発の焼夷弾が雨あられの如く降り、一夜にして市街地の六割を焼き尽くし七十数人の死者を出しました。私は突如の不気味な空襲のサイレンに飛び起きて従妹の家に走り、二才半の女の子を十二才の小さな背にくくりつけて、家族みんなで手を取りあって逃げました。男の人は逃げることが許されなかったので、逃げたのは女、子ども、老人たちです。宮崎文庫から神宮の森にそって逃げて逃げて田の畦道から夜を焦がす火の海をふるえ乍ら見ておりました。

 夜が明けて恐る恐る戻った街は一面の焼野原。目に心に焼き付いたその光景は今も鮮やかに甦ります。この戦争で沢村栄二、竹内浩三が無念の戦死をしています。そして八月十五日の敗戦でございます。「日本は神の国だから絶体に負ける事はない、いざとなったら神風が吹く。」と信じていた多くの大人達は泣き、茫然自失のていでしたが子供たちは大喜びでした。

 二学期が始まって授業はなく、軍国教育の誤った教科書の大部分を墨で塗りつぶす日々の中、国民は国に騙されていたのだ!!と子供心にも気付いた事でした。平和の喜びをかみしめる日々。勉強もたのしくて翌二十一年四月女学校に入学し五月三日新しい憲法が施行され、主権在民、民主国家として大転換の再生の道を歩き出しました。二十二年の学制改革によりあちこち振り廻され乍ら二十五年四月、山高四期二年生として女学校の校舎に戻る事が出来ました。

 山高では新しい教育基本法のもと男女共学で先生も生徒も自由かつ達に生き生きととても楽しい二年間でした。部活も促進され私は映画クラブで「羅生門」に出会いました。バトミントン部を創設して第七回広島国体に出場致しました。二十八年の四月二十八日に七年間に及ぶアメリカの占領が終り日本は独立国家となりました。以後九十二才の現在まで私は、山高で培った平和と民主主義の理念そしてたくさんの同級生との友情を宝物として豊かな人生を送る事が出来ました。山高ではその校風のもと毎年二百人余の卒業生を十八期には六百八十人もの卒業生の人格を育み社会に送り出して来ました。その計り知れない功績に思いを致しますときご指導くださいました先生方への感謝一入でございます。平和憲法を掲げて八十年。しかし今や日本の軍事力は世界ランキング七位とか?五年間の防衛予算四十三兆円がこのほど閣議決定され、来年度の防衛予算八兆八千四百億円が求められています。この現実。私は子供たちの将来が心配でなりません。

 以上、山高への思いと感謝を遺言のような気持ちで述べさせて貰いましたが来年も元気に参加したいと願っています。お聞きいただきありがとうございました。

 では、乾杯とまいりますので、ご起立をお願します。日本の平和、山高の栄えある伝統、プラチナ同窓会のご盛会を祝し、参加の皆さまのご健康とお幸せを祈念致しまして乾杯。ありがとうございました。』

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